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校歌紹介 並びに 校歌制定の過程


 
本校の校歌は、開設準備室時代の1976(昭和51)年1月27日に、初代校長 宮澤康造先生が作詞された歌詞に、初代音楽科教諭 影山維昭先生の紹介により、作曲家 團 伊玖磨先生に作曲を依頼し、依頼から3週間後の1976(昭和51)年2月16日に完成しました。これは、しばらく仮校舎で過ごすことになる生徒たちに、せめて校歌と校旗は早く作ってあげたいという先生方の意思によるものです。
 
初代校長 宮澤先生は、「校歌にはやはりその学校の独自性がなければならない」と考え、国語科の先生でもある宮澤先生が、光丘高校に対する思いを込めて作詞し、素案として4案を職員会議に諮ったということです。以下に、各案の1番を紹介します。
 
<第一案>
学び舎に朝陽かがやき 若人の集ふ ここには
月桂樹のみどりさやかに 豊かなる香り満ちたり
信と愛 かたみに誓ふ あぁ光丘 光丘 われらが母校
 
<第二案>
そびゆる校舎に 朝陽ははえて われらの学ぶここには
かつらぎのみどりさやかに かぐらしき香り ただよう
信と愛 たがいに誓う あぁ光丘 光丘 われらが母校
 
<第三案>
風すがしき朝 樹下道 われの歩めば
友もまた通ひきたりぬ 新しくよみがえる土地
月桂樹は若くのびたり 信と愛つねに忘れず
むつみゆく われら若人 光丘よ
 
<第四案>
風薫る 練馬の北の よみがえる地に 学び舎そびゆ
かつらぎのみどりさやかに 香も高き姿を見ずや
 
第二案が現在の校歌であるが、第一案もよいという意見もあり、團 伊玖磨先生の意向も加味する余地を残すことになったといいます。 
團先生は有名な作曲家で、歌劇『夕鶴』を初め、沢山の素晴らしい作品を残されています。
温厚で雄大な物腰の中にも大変厳しい方で、名前をうっかり略字としただけでも口を聞いてもらえないこともあったそうです。
 
八丈島で静養されておられた先生は、依頼から三週間後に、軽快なメロディを付けて下さいました。完成作は第二案でした。このとき、三番までの歌詞に調子を合わせるため七箇所の歌詞修正が加わっています。具体的には、かつらぎのみどり⇒かつらぎのこみどり、あぁ光丘 光丘 われらが母校⇒あぁ光丘 光丘は あぁ母校 われらが母校などです。
 
こうして、現在の校歌が完成しました。團先生は、大変気分よく、書き上げられたと伝えられています。校歌は第一期生の入学にも間に合い、團先生は、混声四部合唱曲にも編曲して下さいました。

 
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